第二章

さて官事の暇あるごとに、かねておほやけの許をば得たりければ、ところの大學に入りて政治學を修めむと、名を簿冊に記させつ。

ひと月ふた月と過す程に、おほやけの打合せも済みて、取調も次第に捗り行けば、急ぐことをば報告書に作りて送り、さらぬをば寫し留めて、つひには幾巻をかなしけむ。大學のかたにては、穉き心に思ひ計りしが如く、政治家になるべき特科のあるべうもあらず、此か彼かと心迷ひながらも、二三の法家の講筵に列ることにおもひ定めて、謝金を収め、往きて聴きつ。

かくて三年ばかりは夢の如くにたちしが、時來れば包みても包みがたきは人の好尚なるらむ、餘は父の遺言を守り、母の教に従ひ、人の神童なりなど褒むるが嬉しさに怠らず學びし時より、官長の善き働き手を得たりと奨ますが喜ばしさにたゆみなく勤めし時まで、たゞ所動的、器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大學の風に當りたればにや、心の中なにとなく妥ならず、奧深く潛みたりしまことの我は、やうやう表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。餘は我身の今の世に雄飛すべき政治家になるにも宜しからず、また善く法典を諳じて獄を斷ずる法律家になるにもふさはしからざるを悟りたりと思ひぬ。

餘は私に思ふやう、我母は餘を活きたる辭書となさんとし、我官長は餘を活きたる法律となさんとやしけん。辭書たらむは猶お堪ふべけれど、法律たらんは忍ぶべからず。今までは瑣々たる問題にも、極めて丁寧にいらへしつる餘が、この頃より官長に寄する書には連りに法製の細目に拘ふべきにあらぬを論じて、一たび法の精神をだに得たらんには、紛々たる萬事は破竹の如くなるべしなどゝ広言しつ。又大學にては法科の講筵を餘所にして、歴史文學に心を寄せ、漸く蔗を嚼む境に入りぬ。

官長はもと心のまゝに用ゐるべき器械をこそ作らんとしたりけめ。獨立の思想を懐きて、人なみならぬ麵もちしたる男をいかでか喜ぶべき。危きは餘が當時の地位なりけり。されどこれのみにては、なほ我地位を覆へすに足らざりけんを、日比伯林の留學生の中にて、或る勢力ある一群と餘との間に、麵白からぬ関係ありて、彼人々は餘を猜疑し、又遂に餘を讒誣するに至りぬ。されどこれとても其故なくてやは。

彼人々は餘が倶に麥酒の杯をも挙げず、球突きの棒をも取らぬを、かたくななる心と慾を製する力とに帰して、且は嘲り且は嫉みたりけん。されどこは餘を知らねばなり。嗚呼、此故よしは、我身だに知らざりしを、怎でか人に知らるべき。わが心はかの合歓といふ木の葉に似て、物觸れば縮みて避けんとす。我心は処女に似たり。餘が幼き頃より長者の教を守りて、學の道をたどりしも、仕の道をあゆみしも、皆な勇気ありて能くしたるにあらず、耐忍勉強の力と見えしも、皆な自ら欺き、人をさへ欺きつるにて、人のたどらせたる道を、唯だ一條にたどりしのみ。餘所に心の亂れざりしは、外物を棄てゝ顧みぬ程の勇気ありしにあらず、唯外物に恐れて自らわが手足を縛せしのみ。故郷を立ちいづる前にも、我が有為の人物なることを疑はず、又我心の能く耐へんことをも深く信じたりき。嗚呼、彼も一時。舟の橫浜を離るるまでは、天晴豪傑と思ひし身も、せきあへぬ涙に手巾を濡らしつるを我れ乍ら怪しと思ひしが、これぞなか/\に我本性なりける。此心は生れながらにやありけん、又早く父を失ひて母の手に育てられしによりてや生じけん。