正文 第5章 浙東大港(1 / 2)

寧波は唐宋の時代から有名な対外通商貿易港であり、また「海上シルクロード」出発港の一つ、中國近代工業の発祥地として、19 世紀の半ばにすでに近代工業の基礎を成してきた。しかし、半植民地半封建時代に、長年にわたる絶えぬ戦爭によって破壊され、寧波の経済が落ちぶれ、解放直前までに崩壊に瀕した狀態に陥った。新中國の成立後、寧波が東南沿海の海防前線に定められ、寧波への投資建設が大規模に行われていなかった。従って改革開放の初期に至るまで、寧波がまだ東南沿海にある小さな港町でしかない。

寧波の経済社會に新たな変化が生じたのはここ20數年來の出來事である。特にここ數年來、寧波の総合的実力が一層高められ、都市部と農村部が日進月歩な変貌を呈し、2009年に都市部の1人當たりの収入が27368元、昨年に比べ9.2%、農村部の1人當たり収入が12641元、昨年に比べ10.4%増えた。

「港町、商業の都、有名な町、緑の都」といわれる寧波は、近年來、數多くの名譽を獲得した。例えば全國第 1 陣の文明都市、國家環境保護模範城市、國家清潔都市、中國ブランドの都、中國優秀観光都市などが挙げられる。『2009中國十大最幸福感都市』の第3位、フォーブス『2009中國大陸最優秀商業都市ランキング』の第5位である。

総合的実力

2009年地方財政歳入が432.8億元、年初予算の104.6%、昨年より10.9%増加し、中央財政収入を合わせて、全市財政の一般予算が966.2億元、19.2%増加。精製油消費稅の稅収を抜いた後、一般予算が 869.2 億元で、年初予算の101.1%に相當する7.2%増加。財政一般予算が506.1億元、予算の113.3%に相當する15.1%増加。その交通運輸に5.3億元、45.0%増加、電力開発関連事業に35.9億元、30.7%増加。食糧や食用油などの物資備蓄管理に16.6億元、111.6%増加、農業と林業の用水事業に35.5億元、16.3%増加、都市部と農村部のコミュニティ建設に64.8億元、15.0%増加。教育に77.1億元、14.9%増加。震災後の再建に3.6億元を支出し、地震被災地區の再建を支援した。

寧波ハイテク産業開発區

2008年、中國54か所目の國家クラスのハイテク産業開発區が寧波で誕生され、明日の寧波「中関村」を目指している。港で栄えた寧波、今日、また新たな発展契機を見出している。世界経済の急激に発展している中、科學技術を力に國家クラスのハイテク産業開発區が寧波で立ち上がり、寧波の明日を擔う強大なエンジンになると期待されている。

「市の中心部を昇格」戦略の実施によって、寧波ハイテク産業開発區が「東へと拡張」の最前線に立つことになった。今、寧波ハイテク産業開発區の18.9平方キロメートルの地に、すでに中國石化寧波技術研究院、兵科所寧波分院、寧波マイクロソフト技術センターなどの研究開発機関が140社餘り、日本三洋、米國TRW、イートンなどの世界500強企業が集まり、日銀IMPマイクロエレクトロニクス、昇譜LED、永新光學、明昕マイクロエレクトロニクスなどの科學技術型企業が本拠地を構えた

寧波市が創新型都市の建設を目指し、寧波ハイテク産業開発區が寧波創新型都市建設の重要な一部である。寧波ハイテク産業開発區が新型都市建設の中で模範的な地位を確立した。

計畫によると、2015 年までに、寧波ハイテク産業開発區の用地の増加が市の平均水準の5倍以上に達し、市の半分以上の科學技術企業、創業孵化企業及び修士、博士、高級職名の人材がここに集まって、年間発明特許の獲得が市の2/3を占める。

寧波ハイテク産業開発區の核心でもある研究開発園區は東が陳郎橋江、南が光華路、西が聚賢路、北が江南路までの範囲で、麵積が450ムー、建築麵積が60萬平方メートル、総投資額が約30億元、2006年8月に全麵的に著工が始まった。

2009年7月、寧波研究開発園區がオープンし、1期目の20萬平方メートルの園區が使用し始まって、現在、寧波研究開発園區で五つの院士研究室、10の公共技術サービス?プラットフォーム、15 の名門大學産學研究センターと百軒研究開発機構が集まった。2010 年末に全麵的に竣工する見通し。現在、研究開発園區で6億元を投資した寧波市10の公共技術サービス?プラットフォームと32軒の研究開発機構と進出合意を締結した。