歴史と沿革
寧波港は1200年以上の歴史を持つ古い港で、かねてから有名な埠頭である。唐の時代から、日本、朝鮮と東南アジア諸國と通商する主要な港で、アヘン戦爭後、また対外開港された五つの港の一つである。
史料の記載によると、寧波港が古い河姆渡に由來するという。唐天寶の11年(752年)、日本から遣唐船が3隻寧波に停泊したことでそれは寧波港の開港したことを意味する。唐の時代、揚州、広州と並んで中國三大対外貿易港になっていた。宋の時代、また広州、泉州と並んで対外貿易三大要衝になった。千年の歳月を経て、寧波港が數多くの災難に遭われ、1949年までに、貨物取扱量がただ4萬トンの小さな港である。新中國成立後、寧波港が新しい生命力を得て、日増しに発展し続けてきた。
1973年、周恩來総理の「3年で港を変貌させよう」との指示に従って、寧波港が鎮海港區の建設を始め、これでこの古い港が內河港から河口港に移り変わった。1979年1月10日、上海寶山鋼鉄工場のために配置された10萬トンの鉄鉱埠頭の建設が北侖港區開発の始まりである。それで古い寧波港が第2回目の運命的な転機を迎えた。
寧波港が自然に恵まれている。北侖港區航路の水深が30メートルから100メートルで、20萬トンから30萬トンの大型船舶が自由に出入りするができる。岸の長さが120キロメートルで、寧波港が大陸海岸線の真ん中に位置し、長江黃金航路と「T」型と形成された。北侖港區の北側に自然の障壁となる舟山群島があって、港內が穏やかで、港として投資と利益が十分期待できる。しかも港區が平坦で広々とした大陸に立地し、港區で工業や倉庫などに有利である。
優越な港が國の貴重な資源である。1989 年、國は寧波港の北侖港區が大陸の重點的に開発する4つの國際深水港の1つに確定された。寧波港が鉄鉱輸入中継ぎ、國際コンテナ輸送、大規模な原油精製油輸送、大規模な石炭貯蔵輸送、大規模な液體化學工業製品の貯蔵輸送などの5つの運輸中心になろうと、近代化的な國際港を構築していこうとしている。
1978年、寧波港は500~3000トン級の停泊位置が11個だけで、年間輸送量が97萬トン、年間貨物取扱量が214萬トンである。2007年、國際一流の深水中樞港と國際コンテナ港に発展してきた。また、上海國際水上運輸中心の深水外港を構築し、浙江省、寧波市物流業の先頭に立ち、コンテナ、鉱石、原油、石炭、液體化學工業の 5 つの中継港と物流情報センターに形成された。2009年寧波港の貨物取扱量は3.84億トン、コンテナ取扱量は1000萬TEUに達し、全國大陸の港に第4位である。
寧波港はすでに鉄鉱輸入中継ぎ、國際コンテナ輸送、大規模な原油精製油輸送、大規模な石炭貯蔵輸送、大規模な液體化學工業製品の貯蔵輸送などの 5つの運輸中心を持つのである。「東方大港」といわれるように大型と超大型の深水停泊位置の最も多い港になるわけである。市政府は寧波~舟山港管理委員會を成立し、港口一體化の建設を進めていこうとしている。
自然環境
寧波港が大陸の海岸線の中部に位置し、地理條件に恵まれ、中國大陸の有名な深水良港である。寧波港は自然環境が良好で、東アジア及び環太平洋地區に隣接している。
海上から香港、高雄、釜山、大阪、神戸までは平均で1000海裏以內である。寧波港は大陸の各港に連結し、また長江、北京~杭州大運河を繋げ、直接華東地域及び長江流域と緊密にされ、世界でもアメリカ、オセアニアと南米などの港を結ぶことができる。寧波港は水流れが穏やかなため、入港路の水深が18.2メートル以上、30 萬トンの船舶が満潮の時、出入港ができる。水深の岸線が120キロメートル以上に達し、大規模な開発建設が期待できる。北侖港區の北側に舟山群島が自然の障壁になって、北侖港區で埠頭を建てるには、土手や堤防を建造する必要はなく、資金節約の一方、効果と利益が上げられる。しかも港區が平坦で広々とした大陸に立地し、港區で工業や倉庫の建設などに有利である。