正文 第18章 19世紀半ば以前の東アジアの地域交流(2)(1 / 3)

むろん、以上の三例は東アジアの儒學の全貌を概括することができない。しかし、これらの例からも分かるように、數千年伝わることによって、孔子およびその學説は、國境を超えて東アジア諸民族の共通した文化遺産となっている。もとより、東アジア諸國の儒學は、それぞれ次元と形態に相違があり、儒學や儒教などの異なる名稱を使っている。しかし、総合してみれば、それは決して非常に遠く離れたものではなく、一衣帯水、相互依存の関係にあるのである。「忠孝」、「仁愛」、「信義」、「平和」および「己の欲さぬことを他人に施すな」、「己を立てようとすれば人を立てよ」、「民に仁をなし物を愛す」、「民はわが同胞であり、物はわれが與える」などの考え方は、東アジア諸國人民の心に共有され、共通の価値観と倫理的基礎となっている。グローバル化と生態危機に直麵している現在、「天人合一」、「調和が取れている共生」、「中和を致して天地位し、萬物育す」という儒學的知恵は、東アジア諸國の國際交流と文明対話の共有した理念であるばかりでなく、東アジア諸國が人類の文明に貢獻する貴重な文化財産でもある。

最後に、中國著名な社會學者·費孝通先生の言葉をもってこの報告を終え、皆様と共に勵まし合いたい。この言葉とは、「各々の美を美にし、人の美を美にし、美と美を共にし、天下大同になる」と言う。

(區建英 訳)

回族と中央アジア·西アジアとの文化関係

北京師範大學教授 王東平

中國は多民族國家である。56の民族のうち、イスラーム教を信仰する民族は10個あり、人口総數は1800萬人にもある。回族は、中國のイスラーム教を信仰する民族の中で最も人口が多い民族であり、現在861萬2千人の人口を有している。回族の分布は広範囲にわたり、中國全土の大多數の県、市にも回族が暮らしている。

回族は外來の民族(中央アジア、アラビア、ペルシャなどの地域のムスリム)と中國國內の民族が長期にわたる発展の中で、相互融合して形成したものである。中國內陸におけるイスラーム教の普及と発展において、回族が重要な役割を果たした。

イスラーム教が7世紀にアラビア半島で形成した。イスラーム教が誕生したばかりの頃から、ムスリムが海路を経て中國に來た。唐·宋時代に、中國の海外貿易が繁盛であった都市、例えば、広州、泉州等の都市には、多くのアラビアや、ペルシャなどの地域からやって來たムスリムが生活していた。歴史文獻では、彼らを「蕃商」、「蕃客」と呼んでいる。このようなムスリムが中國に居住し、現地の中國人と結婚し、家庭を持ち、土地や家屋を購入し、繁栄してきた。唐·宋時代に、中國で定住したムスリムおよびその子孫は回族の先祖だと思われる。

イスラーム教の中國における普及は13世紀から14世紀、モンゴル支配の元の時代であった。モンゴルが西へ遠征し、多くのイスラーム地域を征服したため、數多くの中央アジア人、ペルシャ人、アラビア人が東への移住を餘儀なくされた。その後、モンゴル人にしたがって中原地域を征服し、南宋を滅ぼした。これら「回回」と呼ばれるムスリムが各地に行き渡った。文獻の中では、「回回人が天下の至る所にいる」と記している。明代にも引き続いて、周辺地域のムスリムが中原の漢人居住地へ移住した。學界では、回族の形成時期は明代であると一般的に思われている。この時代には、民族意識が高まり、漢語(現在の中國語)が諸民族の共通言語となった。中原地域において、広い地區に分散し、小さな地區に集合して住むという構図が形成された。

回族はイスラーム教を信仰するのは、アラビア、ペルシャ起源のイスラーム文化が回族文化の形成と発展に大きな影響を及ぼしたからである。回族ムスリムが中國社會の中で生活し発展してきたが、終始、その宗教信仰を厳しく守り続けている。つまり、歴史文獻に言う「厳奉尊信」(尊い信仰を厳しく奉じる)、「守教不替」(教を守って替わらない)である。回族の居住地にはモスクはあり、アホーンやマンラなどの宗教職業者がいる。回族ムスリムは、イスラーム教の規定を遵守し、宗教的義務を履行する。彼らは宗教信仰、婚姻、葬儀と埋葬、飲食習慣などの麵で、イスラームの伝統を守ってきた。明代の中後期になると、回族社會には、モスク教育と回族學者の漢文によるイスラーム著作の翻訳活動が現われた。モスク教育とは、中國の特徴を有するイスラームの教育製度である。モスクの中で行われ、授業の內容は言語と宗教の二つを含む。言語の麵では、主にアラビア語、ペルシャ語を學ぶ。その主な目的は、イスラームの宗教教育、宗教人材育成のためである。ムスリム學者の漢訳活動は主に、一部のアラビア語、ペルシャ語の典籍を漢語に翻訳すること、あるいは漢語を用いて宗教著作を書くことである。その漢文訳著は、儒家の思想によってイスラーム経典を詮釈する方式を取り、儒家の思想と言語を用いてイスラーム教の內容を解明したのである。このため、イスラームと儒家思想の文化的融合をもたらした。モスク教育と回族學者の漢訳活動はイスラーム教の中國化を促したのである。