正文 第19章 19世紀半ば以前の東アジアの地域交流(3)(1 / 3)

今後、21世紀を通じて、東アジアの平和的な國際秩序を構想する場合、諸民族、諸國家の対等で相互依存的な関係の理念を、中華世界の歴史が提供してくれるかもしれない。すなわち、國民國家形成の過程で搾取と強権による支配が強められた政治秩序を改めるために、分権的な國內及び國際秩序形成のモデルをこの中華世界は提供しているように思う。

以上が簡単であるが、私のコメントとしたい。

參考文獻:

1.茂木敏夫「中華世界の『近代』的変容―清末の辺境支配」(溝口雄三·浜下武誌·平石直昭他編『アジアから考える[2]地域システム』、東京大學出版會、1993年)。

2.浜下武誌『朝貢システムと近代アジア』(岩波書店1997年)。

3.高橋正樹「19世紀前半におけるバンコク王朝の政治秩序——交易港と権威交易體製——」、中央大學法學會『法學新報』第96巻、1989年1·2號。

答弁

張濤 北京師範大學教授

「日本の儒學と中國の儒學は思想の內包においてどんな違いがあるか」という、楊共楽教授の質問に答えます。

日本の儒學と中國の儒學は思想の內包において根本的な違いがないと言えます。中日両國の儒學はともに孔子の學説を本源とし、四書五経を経典とし、仁義徳治を唱導し、禮楽文明を重視し、調和が取れる精神を強調します。聖徳太子の『憲法17條』における「和を貴と為し」、「禮を本と為す」は一つの例証です。もとより、中國の儒學が日本に導入されてから、日本での本土化、民族化を実現し、しかも獨自の學術特色を形成し、自己の思想的魅力を現しました。例えば、中國伝統の儒家思想は強い包容意識と會通精神を持っていながら、形式において強い排他性があり、たとえ儒學內部の異なる學派も絶えず論爭を行い、正統性を爭うのです。これに対し、日本の儒學は基本的に各種の思想流派と共存し、仏教および日本の神道とも調和·共存をしています。また、中國の儒學は一般的に形而上の理論的思弁を重視し、現実とかけ離れて実用性を軽視する傾向があります。これに対し、日本の儒學は経験科學、実証科學を重んじ、「有用之學」を提唱し、しかも明らかな社會効果を挙げています。たとえば、渋沢栄一は、『論語』とそろばんとの一致を語り、儒學道徳を企業文化、企業経営との結合を強調します。また、儒學が唱導する調和と忠誠も、日本の企業にスローガンや座右の銘とされています。これらは、日本社會の経済発展に有益です。以上挙げた點は、中國の儒學とその研究者に真麵目に思考し學習すべきところです。

(區建英 訳)

張昭軍 北京師範大學教授

儒學は非常に複雑な文化係統です。その中に主流があり、支流や潛流もあります。総體的に見れば、その主流思想は封建専製主義に奉仕するものであり、濃厚な封建主義的な意識を持っており、これは近代精神とは衝突する部分です。しかし、儒學の中にはまた絶対的な専製主義を製限する要素を持っており、恒常の道を含んでいます。例えば、『尚書』、『孟子』における「民本」思想や、君主専製を批判する明末清初の思想家·黃宗羲の思想などです。これらの支流、潛流における思想について、もし合理的な解釈と利用ができれば、それは近代化と衝突しないばかりでなく、近代化に助力することも可能です。例えば、孫文はかつて「忠孝、仁愛、信義、平和」という8文字の道徳を唱えました。彼の解釈によれば、過去の人が忠を言う場合は、皇帝に忠誠するのであり、それは愚忠でした。現在それを國家への忠誠に変えなければなりません。明らかに、このように解釈すると、儒學の道徳は近代化と齟齬しないものになります。

(區建英 訳)

王東平 北京師範大學教授

「いくつかのキーワードを用いて回族と中央アジア、西アジアとの文化交流の特徴を概括しよう」という、楊共楽教授の質問に答えます。