正文 第25章 冷戦とポスト冷戦の東アジアの地域交流(2)(1 / 3)

東アジアの歴史教育國際交流―中日交流を中心に―

北京師範大學副教授 鄭林

私の報告テーマは、「東アジア諸國の歴史教育國際交流―中日交流を中心に―」である。

中國は改革開放以來、東アジア諸國との間に歴史教育國際交流を次第に多く行い、中でも、日本とは最も多くの交流を行った。ここでは、中日の歴史教育交流を中心に、東アジアの歴史教育國際交流の形式と內容に関する認識を話したい。

一、歴史教育國際交流の形式

歴史教育國際交流には様々な形式があるが、私はそれを以下の2種類にまとめる。

1.學術団體と研究機構の雙方向交流

中國全國歴史教學研究會と日本歴史教育協議會との學術交流の事例を見よう。まず、1985年、中國全國歴史教學研究會は代表を派遣して、日本歴史教育協議會が東京で開催する國際會議に出席した。また1987年、日本側は代表団を派遣して、中國全國歴史教學研究會が安徽で開催の學術討論會に出席した。その後、雙方とも経常的に代表を互いに派遣し、この種の會議に出席した。

また、1984年から、日本の「比較史、比較歴史教育研究會」は、「東アジア歴史教育討論會」を何回も主催し、中國、韓國、朝鮮、ベトナムなどの國が代表を派遣して參加した。中國全國歴史教學研究會の代表もこれに出席した。

それから、中國の人民教育出版社教材研究所と日本國際教育情報センターは、1988年から、互いに社會·歴史の教科書を交換し査読し、また、書麵の形式と相互訪問や座談會などによって交流し、相手の教科書について総體的な印象と具體的意見を交換している。

#5#2.歴史教育研究者の単方向の交流

歴史の教育と研究に攜わる人々は、外國を訪問し外國の文獻を読むことによって、外國の歴史教育の情況を理解し、そして中國語の雑誌を通じて、彼らの知った狀況を國內の歴史教育関係者に紹介している。

例えば、1981年、雑誌『歴史教學』第9號に「日本歴史教育の概況紹介」が発表された。1995年、雑誌『課程·教材·教育法』第2號に、「日本高校の新編歴史教材の基本特徴」に関する評論が発表された。1998年、雑誌『中學歴史教學參考』第8號に、「日本の社會科·歴史科の試験問題作成技術」についての紹介が発表された。これらの雑誌記事を通じて、中國の歴史教育関係者は日本の歴史教育について、包括的な理解を得ている。

二、歴史教育國際交流の內容

歴史教育國際交流の內容は、歴史課程の設置、歴史教學の計畫、教學大綱、課程の基準、教學の內容、教學の方式などに関わっている。

1.一國の歴史教育の歴史と現狀に関する概況的紹介

1984年、第1回の「東アジア歴史教育討論會」は東京で開催され、中國の研究者·包啓昌は、「十年來の中國歴史教育改革の回顧」というテーマで、中國歴史教育の狀況を日本の歴史関係者に紹介した。1987年9月、中國教育學會歴史教學研究會の第2回2次年會が安徽涇県で開催された時、日本の研究者·佐藤伸雄先生、鬼頭明成先生、二穀貞夫先生は、それぞれ日本歴史教育の歴史、現狀および歴史教育の成果を紹介した。また1994年、中國教育學會歴史教學研究會第3回3次年會は山東の臨沂市で開催された。日本上越大學の二穀貞夫先生は、「日本歴史教育の現狀と課題」をテーマとして報告し、中國の研究者と交流した。

#5#2.歴史教育における共通関心の課題を特定テーマとして討論

1989年、第2回「東アジア歴史教育討論會」は東京で開催され、日本、中國、韓國、朝鮮の4カ國の研究者が參加した。各國の代表は、歴史教育における民族問題や、第二次世界大戦の戦爭責任問題などについて討論を行った。1994年、第3回「東アジア歴史教育討論會」も東京で開催され、日本、ベトナム、韓國、中國大陸と台灣の研究者が參加した。そこで研究者たちは、「世界史における日清戦爭」、「アメリカ合衆國の歴史をどのように理解するか」、などの問題を取り上げて討論した。また2000年11月、中國全國歴史教學研究會および歴史教學國際シンポジウムは上海で開催され、中國香港、台灣地區の歴史教育専門家や、韓國、日本、イギリスなどの國の研究者が參加した。諸國の研究者はともに、歴史教室の教學モデルの改革や、如何に歴史教學で學生の創造精神と実踐能力を育てるかなどのことについて検討した。