特に、中國仏教は日本において長期に亙る伝播、発展を経て、後に日本の伝統的な宗教、文化、習俗と結びつき、次第に民族化本土化を実現し、民族特色のある仏教教派、例えば、日本の天台宗、真言宗(密宗)、浄土宗、真宗、時宗、日蓮宗を形成してきた。中國から伝來した仏教はまた、日本古來の神道思想と同化、融合し、「本地垂跡」の思想、すなわち「日本の八百萬の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現である」という説が誕生した。これらは、日本における仏教の本土化、民族化を促進した。
中國文化が朝鮮半島に伝わるのは、紀元前2世紀から始まった。朝鮮の三國時期には、儒學、仏教の影響が大きかった。儒學の麵において、三國とも『論語』、『孝経』の學習を重視し、儒者の必修內容とした。新羅が朝鮮半島を統一し、儒學思想が続いて伝播と発展を得た。國學を設置し、貴族の子弟を唐王朝に派遣して儒學を學ばせた。高麗時期、儒學はさらに発展した。儒學経典は科挙試験の科目に決められた。高麗末期、珦安などの著名な儒者の努力によって、元朝から朱子學を導入され、広く伝播し、しかも本國の事情と結びつき、政治改革の精神的な武器となった。仏教が朝鮮の三國時代から中國より伝來し、數百年の普及を経てきた。高麗王朝時代には仏教が空前に繁栄し、「尊仏」は國策として定められた。この時、世界仏教史上にも名を馳せる典籍『高麗蔵』が現われ、その中には、中國語訳のインド仏教の経典や、中國の高僧が書いた仏経論著を収められたばかりではなく、朝鮮僧侶の仏教著述も數多く収録された。日本の場合と同様に、中國の伝統思想文化は朝鮮半島に大きな影響を與えたが、朝鮮半島に伝わった後、本土文化と融合し、獨自の特徴を形成した。
日本や朝鮮に輸入されてきた中國の伝統思想文化は、吸收、更生、創造の過程を経験しながら、それぞれの文明の目覚しい進歩を促した。また、多くの分野や、様々なルートを通じて、中國に逆輸入し、中國伝統文化の繁栄と発展に寄與した。特に、宋代以降はなおさら顕著であった。例えば、日本では中國で散逸した典籍が數多く保存され、中には多くの貴重な儒學と仏教の文獻がある。これらの散逸古典の逆流によって、中國の失われた文化遺産が取り戻されることができた。その価値を過小評価してはいけない。仏教文化の麵で、唐宋時期に、日本から多くの高僧が説法するために中國へ渡った。中國の仏教は日本と朝鮮に影響を與えるとともに、日本と朝鮮半島の仏教文化からも影響を受けた。
前漢と後漢期にはまた、著名なシルクロードによって、中國とヨーロッパはつなげられ、その後の文化交流はますます頻繁になった。明朝萬歴年間、カトリック教宣教師マテオ·リッチが中國に來た。これをきっかけに、中國と外國との文化交流は新たな発展段階に入った。マテオ·リッチは、儒家の思想を語り合うことを通じて、カトリックの教義を普及させるべきであると主張した。當時、中國の徐光啟、李之藻らは、地元に欠けていた西洋の科學技術文化に注目し、マテオ·リッチらに協力して、大量の西洋科學技術および學術思想に関する書物を執筆し、翻訳した。逆に、中國の伝統思想文化も絶え間なく知恵の光を発し、ヨーロッパの啓蒙運動に一定の影響を與えた。
(孫犂氷訳、區建英校)
儒學と東アジアとの文化共有
北京師範大學教授 張昭軍
まず、新潟國際情報大學から今回の學術交流の貴重な機會を與えていただき、心から感謝する。