正文 第26章 冷戦とポスト冷戦の東アジアの地域交流(3)(1 / 3)

1980年代後期、トヨタは中國向け輸出を拡大する戦略に夢中し、対中國投資を「時期尚早」と考えていた。しかしその時期に、ドイツのフォルクスワーゲンが一足先に中國乗用車市場に參入した。1990年代から、アメリカ、フランス、イタリア等の國の自動車メーカーも対中國投資を始めた。こうして1990年代後半に至って、中國の自動車産業の戦略構図の中、日本メーカーがすでに度外視された。日本の自動車産業界は自らの誤った対中投資予測のため、大きな代価を支払った。近年、中國の自動車産業の著しい発展を背景に、世界最大の自動車市場を前にして、トヨタ、日産等が以前の教訓から學習し、中國の自動車産業に投資過熱が現われた2003年にも、生産能力が過剰であると言われた2004年にも、毅然として投資を拡大し続けた。その時、中國の自動車産業市場への參入には當然より大きなリスクを伴うのである。しかし、投資しない方が投資拡大よりもリスクが大きいのである。言い換えれば、投資しなければ、中國市場へ參入できず、更に中國市場から追い出される恐れがある。いわゆる「羊を失ってから檻を修理し、後の手當でも遅いことはない」ということである。この例証から分かるように、もし日本は、実は存在していない「空洞化」を過度に心配するならば、中國という世界最大の市場を失うのである。

最後に、2008年5月7日に日中政府が調印した『日中戦略的互恵関係を推進する共同聲明』の言葉を引用して、本報告を締めくくりたい。「日中関係は正に新しい転換點にあり、更なる発展という新しいチャンスを直麵しておる。雙方は共に努力して、日中戦略的互恵関係を全麵的に発展させ、新しい局麵を築き上げていかなければならない」。今後、中日の貿易を行う上で、雙方が長期的な視野を持ち、互恵によって両國の國民に恩恵を與えるという原則に従えば、日中貿易·経済協力は必ず様々な障害を乗り越え、ますます発展していくことができると私は確信する。

注:

① 劉寧:『仮如中國失去日本』、『南方週末』、2008年5月8日B11版から再引用。

(孫犂氷訳 區建英校)

ポスト冷戦期における東アジアの國際関係―冷戦の殘滓克服に向けて―

新潟國際情報大學教授 小澤治子

冷戦の終焉が言われるようになって、20年近くが経過した。しかし、東アジアでは依然として冷戦構造が殘っている。朝鮮半島情勢は予斷を許さない。日本とロシアの平和條約は,第二次大戦終結から60年以上経たにもかかわらず、領土問題の存在ゆえに締結されていない。さらに日本と中國,日本と韓國の間には時として國益のぶつかり合いが生じている。東アジアの緊張緩和に向けて,何が必要であろうか。

1.9.11以後の米ロ関係

2001年9月11日に起こったアメリカにおける同時多発テロ事件の結果,「テロとの闘い」と対米協調がロシア外交の基軸に據えられる。プーチン大統領は5項目にわたる対米支援政策を発表し,また翌2002年5月には米ロ雙方が保有する核弾頭を十年間で冷戦期の5分の1から6分の1にまで削減することを約束した戦略攻撃戦力削減條約が調印された。2003年3月,アメリカ等によって開始されたイラク攻撃をロシアは中國やフランス、ドイツと共に批判し、國連がイラク問題の解決にあたって中心的役割を果たすべきことを主張したが、この問題がロシアの対米協調姿勢に大きな変化をもたらすことはなかった。ロシアは國際社會におけるアメリカの単獨行動主義を批判しつつも,アメリカとの対立の回避を外交の最優先課題に置いてきたといえよう。①

しかし、米ロ間に存在する対立要因は枚挙に暇がない。まずNATOの東方拡大問題がある。20世紀末にポーランド,チェコ,ハンガリーの3カ國がNATOに加盟したのに続いて,2004年6月,舊ソ連構成共和國のバルト3國(エストニア,ラトヴィア,リトアニア)が他の中東歐4カ國と共にNATOに加わった。ロシアは舊ソ連諸國にNATOがさらなる拡大を続ける可能性に強い警戒感を示している。さらにアメリカのミサイル防衛システムをポーランドやチェコなどの中東歐諸國に配備する計畫が明らかになったことによって、2007年から2008年初めの米ロ関係は緊張が高まった。加えてイランの核開発問題,舊ユーゴ·スラヴィアを構成したセルビアからのコソヴォ自治州獨立問題など米ロ関係は火種を抱えている。ロシアはこれらの問題に対し,グローバルなレベルでのアメリカの一極支配の現われとして,反発を強めてきた。