第二次世界大戦後、日本はとても早く経済の復興と高度成長を実現した。「日本はなぜ成功したか」は再び注目される話題となった。特に1960年代以降、東西冷戦イデオロギーの対抗という背景の下で、アメリカの東洋史研究者であるエドウィン·オールドファザー·ライシャワー等の提唱により、「近代化論」が日本研究に広く応用さした。戦前に比べると、近代化比較の主な基準は軍事の成功から経済の成功への転換した。「中國は失敗、日本は成功」という観點が依然として主流であった。日本は近代アジアで初めの、しかも唯一の近代化に成功した國である、という事実は、研究者の共通した思考の前提となった。
しかし、今日に至って、この仮説前提は果たして當初のように自明のことであるのか。
実際に、日本の敗戦を契機に、一部の學者はすでに「中國は失敗、日本は成功」という従來の考え方について疑問を持った。例えば、新中國の誕生を背景に、丸山真男は1952年に次のように述べた。自己を含む戦前の日本人學者が一般的に、「中國の停滯性と日本の相対的進歩性」を信じてきた。しかし、「いわゆる『近代』を経験した日本と、このような成功経験を持っていない中國とは、大衆レベルの近代化という點から見ると、今日逆転的な対比が起こっている。」むろん、もしある程度の経済発展がなければ、いわゆる近代化も論外である。一定の発展を示してこそ初めて、現代化の発展モデルとして認められるのである。新中國の成立初期における経済発展の成果および政治、社會等の進歩を目の當たりにして、多くの學者が中國の「成功」問題を真剣に考え始めた。中日の比較については、「中國は成功、日本は失敗」とい考え方も生まれた。
このような中日比較は、ある程度、主に軍事的成敗の刺激を受けたものである。つまり、中國は抗日戦爭の勝利を収め、國家の獨立を実現し、さらに國連常任理事國の一つとなった。一方、日本はアメリカ軍に占領され、かつて一度國家の獨立を失った。しかし、日本経済の復興と発展につれ、このような疑問は次第に、「近代化論」に基づいた日本歴史への楽観主義的な評価に取って代わられた。近代日本軍國主義、ファシズムが政治および道德上の批判を免れないにもかかわらず、経済や技術の指標を重視する近代化理論に支えられて、日本はアジアで最も魅力のある成功の手本であると一般的に見なされている。そのうえ、戦後日本の民主、平和、裕富の國家イメージが、さらに日本の近代化成功者としての印象を強めた。
これとは対照的に、新中國は次第に様々な経済発展上の困難に遭い、1980年代になってから改革開放を実行し、「経済建設を中心とする」政策へ転換した。日本は再び中國の學ぶ対象となった。1980年代初め、「近代化論」は中國の學術界で次第に広まり、中日の比較研究は広く展開された。その中で、一つ重要な動機は日本の成功からその経験を學ぼうとすることである。そもそも反共イデオロギーとして生まれた「近代化論」は、奇妙にも社會主義中國が日本等の先進資本主義國家を見習う理論的基礎となった。