正文 第28章 冷戦とポスト冷戦の東アジアの地域交流(5)(1 / 2)

しかし、今日、中國経済の持続発展につれて、ますます多くの學者は、「中國は失敗、日本は成功」という従來の観點を考え直さなければならないと意識するようになった。今日、中國の発展を議論するのは依然として一種の予言に聞こえるが、鋭敏な研究者はすでに次のことに認識し始めた。近代化の道は一本だけではない。近代化発展の評価も単に経済指標に頼るだけではない。近代化比較の新しい視點を構築し、従來の一元的な進歩史観によって予め設定された単線的発展序列を打ち破り、多元化した評価基準を確立し、各民族國家の獨特な文化個性を探らなければならない。

いわゆる「成敗」問題に拘って中日の近代化を比較するのは、中日の軍事的、経済的ないしイデオロギー的な競爭あるいは対抗関係を反映したことである。私たちは中日比較における従來の考え方を変え、中國と日本は「どっちが成功、どっちが失敗か」を確認することから脫卻し、それぞれの獨自性を比較し、ぞれぞれの価値を考えなれればならない。このような新しい考え方によって、特定の発展段階における特定な基準による成敗拙速へのこだわりを乗り越えられるだけではなく、更に様々な自民族中心主義の幻想を打ち砕き、多元化した共生的な発展モデルを確立することには大いに役立つであろう。文化教育の分野においても、経済、政治ないし軍事の分野においても、雙方いずれも、相手に経験を提供し、また相手を學ぶことができる。しかし、雙方とも近代化の標準もでるにはなれないであろう。このような認識に立腳してこそ、真の「交流」関係を築き上げ、中日の戦略互惠関係の健全な発展を促すことができるであろう。

(孫犂氷 訳 區建英 校)

安藤潤 新潟國際情報大學準教授

私は李誌英先生のご報告について、感想を兼ねて質問させていただたい。

東西冷戦が終焉し、舊社會主義國が市場経済を徐々に導入したということは、それだけ地球上に新たな市場が誕生し、企業にとって利益を獲得する場が増えたことを意味する。そのような狀況下で、日本の主に製造業も中國へ生産拠點を移転させたし、日中間の貿易量もまた増加した。ところで経済取引が活発になったこととは日中間の民間企業の経済協力が進んだことを意味するのだろうか。たしかに日本企業が中國で生産すれば、中國での雇用を創出し、中國の労働者の所得を生み出すだろう。しかし、中國人労働者の賃金水準上昇は、利潤最大化行動をとると経済學のテキストで教えられる企業にとって、その達成を困難にする要因へと変わっていく。おそらく賃金水準の上昇とともに技術水準も上昇するので、一方では賃金水準に見合う高付加価値産業の製造拠點は中國に今後も殘ると思うが、その一方で低付加価値産業の製造拠點はより賃金水準が低く、その生産に必要な技術水準を持つ途上國へと生産拠點を移すのではないかと思う。実際、中國では労働者の賃金水準が上昇し、製造業の一部はすでにベトナムなどへ生産拠點を移動させることを考えていると聞く。アメリカ経済が一つの極端な例であるが、市場経済と企業活動のグローバル化は、市場における企業の私的利益追求が負の側麵を発揮し、経済格差を生み出しかねない。そのように考えると中國で活動する日本の企業はアジアにおける「経済格差拡大協力」を擔ってしまうのではないかと危懼するが、この點についてはどのようにお考えか、お答えいただきたい。

答弁

小林元裕 新潟國際情報大學教授

史先生、唐先生、ご質問ありがとうございます。あまり時間がないので手短にお答えいたします。

まず史先生からのご質問のあった、歴史研究者が近年の歴史教科書問題をどう考えているかという點です。歴史研究者は問題となった「新しい歴史教科書をつくる會」の教科書をまったく評価していません。というのはこの教科書は不思議なことにその執筆に歴史研究者がほとんど攜わっていないからです。歴史學ではなく、政治學、文學を専門とする人が中心になって教科書を執筆しています。そのために教科書の持つイデオロギー性がどうかという問題以前に、その敘述に歴史事実の間違いが多く見られます。歴史研究者はこの點に多くの批判を加えました。